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 第一章


 うすらぼんやりとしているうちに学区内の県立高校へと無難に進学した俺が最初に後悔こうかいしたのはこの学校がえらい山の上にあることで、春だってのに大汗おおあせをかきながら延々と続く坂道を登りつつ気軽なハイキング気分をいやいや満喫まんきつしている最中さなかであった。これから三年間も毎日こんな山登りを朝っぱらからせにゃならんのかと思うと暗澹あんたんたる気分になるのだが、ひょっとしたらギリギリまで寝ねていたおかげで自然と足早を強しいられているのかもしれず、ならばあと十分でも早起きすればゆっくり歩けるわけだしそうキツイことでもないかと考えたりするものの、起きる間際まぎわの十分の睡眠すいみんがどれほど貴重かを思えば、そんなことは不可能で、つまり結局俺は朝の運動を継続けいぞくしなければならないだろうと確信し暗澹たる気分が倍加した。

 そんなわけで、無駄むだに広い体育館で入学式がおこなわれている間、俺は新しい学まなび舎やでの希望と不安に満ちた学園生活に思いをはせている新入生特有の顔つきとは関係なく、ただ暗い顔をしていた。同じ中学から来ている奴がかなりの量にのぼっていたし、うち何人かはけっこう仲のよかった連中なので友人のあてに困ることはなかったが。

 男はブレザーなのに女はセーラー服ってのは変な組み合わせだな、もしかして今壇上だんじょうで眠気を誘さそう音波を長々と発しているヅラ校長がセーラー服マニアなのか、とか考えているあいだにテンプレートでダルダルな入学式がつつがなく終了しゅうりゅし、俺は配属された一年五組の教室へ嫌いやでも一年間は面つらを突つき合わせねばならないクラスメイトたちとぞろぞろ入った。

 担任の岡部おかべなる若い青年教師は教壇に上がるや鏡の前で小一時間練習したような明朗快活な笑顔えがおを俺たちに向け、自分が体育教師であること、ハンドボール部の顧問こもんをしていること、大学時代にハンドボール部で活躍かつやくしリーグ戦ではそこそこいいところまで勝ちあがったこと、現在この高校のハンドボール部は部員が少ないので入部即そくレギュラーは保障されたも同然であること、ハンドボール以上に面白おもしろい球技はこの世に存在しないであろうことをひとしきり喋しゃべり終えるともう話すことがなくなったらしく、

「みんなに自己紹介しょうかいをしてもらおう」

 と言い出した。

 まあありがちな展開だし、心積もりもしてあったから驚おどろくことでもない。

 出席番号順に男女交互こうごで並んでいる左端はしから一人一人立ち上がり、氏名、出身中学プラスα(趣味しゅみとか好きな食べ物とか)をあるいはぼそぼそと、あるいは調子よく、あるいはダダ滑すべりするギャグを交えて教室の温度を下げながら、だんだんと俺の番が近づいてきた。緊張きんちょうの一瞬いっしゅんである。解わかるだろ?

 頭でひねっていた最低限のセリフを何とか噛《か》まずに言い終え、やるべきことをやったという開放感に包まれながら俺は着席した。替かわりに後ろの奴やつが立ち上がり----ああ、俺は生涯しょうがいこのことを忘れないだろうな----後々語り草となる言葉をのたまった。

「東ひがし中学出身、涼宮ハルヒ」

 ここまでは普通ふつうだった。真後ろの席を身体からだをよじって見るのもおっくうなので俺は前を向いたまま、その涼やかな声を聞いた。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力ちょうのうりょく者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

 さすがに振ふり向いたね。

 長くて真まっ直すぐな黒い髪かみにカチューシャつけて、クラス全員の視線を傲然ごうぜんと受け止める顔はこの上なく整った目鼻立ち、意志の強そうな大きくて黒い目を異常に長いまつげが縁取ふちどり、薄桃色うすももいろの唇くちびるを固く引き結んだ女。

 ハルヒの白い喉のどがやけにまばゆかったのを覚えている。えらい美人がそこにいた。

 ハルヒは喧嘩けんかでも売るような目つきでゆっくりと教室中を見渡みわたし、最後に大口開けて見上げている俺をじろりと睨にらむと、にこりともせずに着席した。

 これってギャグなの?

 おそらく全員の頭にどういうリアクションをとればいいのか、疑問符ぎもんふが浮うかんでいたことだろう。「ここ、笑うとこ?」

 結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。涼宮ハルヒは、いつだろうがどこだろうが冗談じょうだんなどは言わない。

 常に大マジなのだ。

 のちに身をもってそのことを知った俺が言うんだから間違まちがいはない。

 沈黙ちんもくの妖精ようせいが三十秒ほど教室を飛び回り、やがて体育教師岡部がためらいながら次の生徒を指名して、白くなっていた空気はようやく正常化した。


 こうして俺たちは出会っちまった。

 しみじみと思う。偶然ぐうぜんだと信じたい、と。


 このように一瞬にしてクラス全員のハートをいろんな意味でキャッチした涼宮ハルヒだが、翌日以降しばらくは割とおとなしく一見無害な女子高生を演じていた。

 嵐あらしの前の静けさ、という言葉の意味が今の俺にはよく解る。

 いや、この高校に来るのは、もともと市内の四つの中学出身の生徒たち(成績が普通レベルの奴ら)ばかりだし、東中もその中に入っていたから、涼宮ハルヒと同じ中学から進学した奴らもいるわけで、そんな彼らにしてみればこいつの雌伏しふく状態が何かの前兆であることに気付いていたんだろうが、あいにく俺は東中に知り合いがいなかったしクラスの誰だれも教えてくれなかったから、スットンキョーな自己紹介から数日後、忘れもしない、朝のホームルームが始まる前だ。涼宮ハルヒに話しかけるという愚ぐの骨頂なことを俺はしでかしてしまった。

 ケチのつき始めのドミノ倒たおし、その一枚目を俺は自分で倒しちまったというわけだ。

 だってよ、涼宮ハルヒは黙だまってじっと座っている限りでは一美少女高校生にしか見えないんだぜ。たまたま席が真ん前だったという地の利を生かしてお近づきになっとくのもいいかなと一瞬血迷った俺を誰が責められよう。

 もちろん話題はあのことしかあるまい。

「なあ」

 と、俺はさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて言った。

「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」

 腕うで組みをして口をへの字に結んでいた涼宮ハルヒはそのままの姿勢でまともに俺の目を凝視ぎょうしした。

「自己紹介のアレって何」

「いや、だから宇宙人がどうとか」

「あんた、宇宙人なの?」

 大まじめな顔で訊ききやがる。

「...違うけどさ」

「違うけど、何なの」

「...いや、何もない」

「だったら話かけないで。時間の無駄むだだから」

 思わず「すいません」と謝ってしまいそうになるくらい冷徹れいてつな口調と視線だったね。涼宮ハルヒは、まるで芽キャベツを見るように俺に向けていた目をフンとばかりに逸そらすと、黒板の辺りを睨にらみつけ始めた。

 何かを言い返そうとして結局思いつかないでいた俺は担任の岡部が入ってきたおかげで救われた。

 負け犬の心でしおしおと前を向くと、クラスの何人かがこっちのほうを興味深げに眺ながめていやがった。目が合うと実に意味深な半笑いで「やっぱりな」とでも言いたげな、そして同情するかのごときうなずきを俺によこす。

 なんか、シャクに障さわる。後で解ったことだがそいつら全員東中だった。


 とまあ、おそらくファースト・コンタクトとしては最悪の部類に入る会話のおかげで、さすがに俺も涼宮ハルヒには関かかわらないほうがいいのではないかと思い始めてその思いが覆くつがえらないまま一週間が経過した。

 だが理解していない観察眼のない奴もまだまだいないわけではなく、いつも不機嫌ふきげんそうに眉間みけんにしわを寄せ唇くちびるをへの字にしている涼宮ハルヒに何やかんやと話かけるクラスメイトも中にはいた。

 だいがいそれはおせっかいな女子であり、新学期早々クラスから孤立こりつしつつある女子生徒を気遣きづかって調和の輪の中に入れようとする、本人にとっては好意から出た行動なのだろうが、いかんせん相手が相手だった。

「ねえ、昨日のドラマ見た? 九時からのやつ」

「見てない」

「えー? なんでー?」

「知らない」

「いっぺん見てみなよ、あーでも途中とちゅうからじゃ解わかんないか。そうそう、だったら教えてあげようか、今までのあらすじ」

「うるさい」

 こんな感じ。

 無表情に応答するならまだしも、あからさまにイライラした顔と発音で応こたえるものだから話かけた人間の方が何か悪いことをしているような気分になり、結局「......まあ、その......」と肩かたを落としてすごすご引き下がることになる。「わたし、何かおかしな事言った?」

 安心したまえ、言ってない。おかしいのは涼宮ハルヒの頭のほうさ。


 別段一人で飯喰くうのは苦にならないものの、やはり皆みながわやわや言いながらテーブルをくっつけているところにポツンと取り残されるように弁当をつついているというのも何なので、というわけでもないのだが、昼休みになると俺は中学が同じで比較的ひかく仲のよかった国木田くにきだと、たまたま席が近かった東中出身の谷口たにぐちという奴やつと机を同じくすることにしていた。

 涼宮ハルヒの話題が出たのはその時である。

「お前、この前涼宮に話かけてたな」

 何気なにげにそんな事を言い出す谷口。まあ、うなずいとこう。

「わけの解らんこと言われて追い返されただろ」

 その通りだ。

 谷口はゆで卵の輪切りを口に放り込み、もぐもぐしながら、

「もしあいつに気があるんなら、悪いことは言わん、やめとけ。涼宮が変人だってのは充分じゅうぶん理解したろ」

 中学で涼宮と三年間同じクラスだったからよく知ってるんだがな、と前置きし、

「あいつの奇人きじんぶりは常軌じょうきを逸いつしている。高校生にもなったら少しは落ち着くかと思ったんだが全然変ってないな。聞いたろ、あの自己紹介しょうかい」

「あの宇宙人がどうとか言うやつ?」

 焼き魚の切り身から小骨を細心の注意で取り除いていた国木田が口を挟はさんだ。

「そ。中学時代にもわけの解らんことを言いながらわけの解らんことを散々やり倒たおしていたな。有名なのが校庭落書き事件」

「何だそりゃ?」

「石灰せっかいで白線引く道具があるだろ。あれ何つうんだっけ? まあいいや、とにかくそれで校庭にデカデカとけったいな絵文字を書きやがったことがある。しかも夜中に学校に忍しのび込んで」

 そん時のことを思い出したのか谷口はニヤニヤ笑いを浮うかべた。

「驚おどろくなよ。朝学校来たらグラウンドに巨大きょだいな丸とか三角とかが一面に書きなぐってあるんだぜ。近くで見ても何が書いてあんのか解らんからためしに校舎の四階から見てみたんだが、やっぱり何が書いてあるのか解んなかったな」

「あ、それ見た覚えあるな。確か新聞の地方欄らんに載のってなかった? 航空写真でさ。出来そこないのナスカの地上絵みたいなの」

 と国木田が言う。俺には覚えがない。

「載ってた載ってた。中学校の校庭に描えがかれた謎なぞのイタズラ書き、ってな。で、こんなアホなことをした犯人は誰だれだってことになったんだが......」

「その犯人があいつだってわけか」

「本人がそう言ったんだから間違まちがいない。当然、何でそんなことしたんだってなるわな。校長室にまで呼ばれてたぜ。教師総掛がかりで問いつめたらしい」

「何でそんなことしたんだ?」

「知らん」

 あっさり答えて谷口は白飯をもしゃもしゃと頬張ほおばった。

「とうとう白状しなかったそうだ。だんまりを決め込んだ涼宮のキッツい目で睨にらまれてみろ、もうどうしようもないぜ。一説によるとUFOを呼ぶための地上絵だとか、あるいは悪魔召還あくましょうかんの魔方陣まほうじんだとか、または異世界への扉とびらを開こうとしてたとか、噂うわさはいろいろあったんだが、とにかく本人が理由を言わんのだから仕方がない。今もって謎のままだ」

 俺の脳裏のうりには、真っ暗の校庭に真剣しんけんな表情で白線を引いている涼宮ハルヒの姿が浮かんでいた。ガラゴロ引きずっているラインカーと山積みにしている石灰の袋ふくろはあらかじめ体育倉庫からガメていたんだろう。懐中かいちゅう電灯くらいはもっていたかもしれない。頼たよりない明かりに照らされた涼宮ハルヒの顔はどこか思い詰つめた悲壮ひそう感に溢あふれていた。俺の想像だけどな。

 たぶん涼宮ハルヒは本気でUFOあるいは悪魔または異世界への扉を呼び出そうとしたのだろう。ひょっとしたら一晩中、中学の運動場でがんばっていたのかもしれない。そしてとうとう何も現れなかったことにたいそう落胆らくたんしたに違いない、と根拠こんきょもなく思った。

「他ほかにもいっぱいやってたぞ」

 谷口は弁当の中身を次々と片付けつつ、

「朝教室に行ったら机が全部廊下ろうかに出されていたこともあったな。校舎の屋上に星マークをペンキで描いたり、学校中に変なお札、キョンシーが顔にはっ付けているようなやつな、あれがベタベタ貼はりまくられていたこともあった。意味わかんねーよ」

 ところで今教室に涼宮ハルヒはいない。いたらこんな話も出来ないだろうが、たとえいたとしてもまったく気にしないような気もする。その涼宮ハルヒだが、四時間目が終わるとすぐ教室を出て行って五時間目が始まる直前にならないと戻もどってこないのが常だ。弁当を持ってきた様子はないから食堂を利用しているんだろう。しかし昼飯に一時間もかけないだろうし、そういや授業中の合間の休み時間にも必ずといっていいほど教室にはいない奴やつで、いったいこどをうろついているんだか。

「でもなぁ、あいつモテるんだよな」

 谷口はまだ話している。

「なんせツラがいいしさ。おまけにスポーツ万能で成績もどちらかと言えば優秀ゆうしゅうなんだ。ちょっとばかし変人でも黙だまって立っていたら、んなこと解わかんねーし」

「それにも何かエピソードがあんの?」

 問う国木田は谷口の半分も箸はしが進んでいない。

「一学期は取っ替かえ引っ替えってやつだったな。俺の知る限り、一番長く続いて一週間、最短では告白されてオーケーした五分後に破局してたなんてのもあったらしい。例外なく涼宮が振ふって終わりになるんだが、その際に言い放つ言葉がいつも同じ、『普通ふつうの人間の相手してるヒマはないの』。だったらオーケーするなってーの」

 こいつもそう言われたクチかもな。そんな俺の視線に気付いたか、谷口は慌あわてたふうに、

「聞いた話だって、マジで。何でか知らねえけどコクられて断るってことをしないんだよ、あいつは。三年になった頃ころにはみんな解ってるもんだから涼宮と付き合おうなんて考える奴はいなかったけどな。でも高校でまた同じことを繰くり返す気がするぜ。だからな、お前が変な気を起こす前に言っておいてやる。やめとけ。こいつは同じクラスになったよしみで言う俺からの忠告だ」

 やめるとくも何も、そんな気ないんだがな。

 食い終わった弁当箱を鞄かばんにしまい込んで谷口はニヤリと笑った。

「俺だったらそうだな、このクラスでのイチオシはあいつだな、朝倉涼子あさくらりょうこ」

 谷口がアゴをしゃくって示した先に、女どもの一団が仲むつまじく机をひっつけて談笑だんしょうしている。その中心で明るい笑顔えがおを振りまいているのが朝倉涼子だった。

「俺の見立てでは一年の女の中でもベスト3には確実に入るね」

 一年の女子全員をチェックでもしたのか。

「おうよ。AからDにまでランク付けしてそのうちAランクの女子はフルネームで覚えたぜ。一度しかない高校生活、どうせなら楽しく過ごしたいからよ」

「朝倉さんがそのAなわけ?」と国木田。

「AAランクプラス、だな。俺くらいになると顔見るだけで解る。アレはきっと性格までいいに違いない」

 勝手に決めつける谷口の言葉はまあ話し半分で聞くとしても、実のところ朝倉涼子もまた涼宮ハルヒとは別の意味で目立つ女だった。

 まず第一に美人である。いつも微笑ほほえんでいるような雰囲気ふんいきがまことによい。第二に性格がいいという谷口の見立てはおそらく正しい。この頃になると涼宮ハルヒに話かけようなどという酔狂すいきょうな人間は皆無かいむに等しかったが、いくらぞんざいにあしらわれてもそれでもめげずに話かける唯一ゆいつの人間が朝倉である。どことなく委員長っぽい気質がある。第三に授業での受け答えを見てると頭もなかなかいいらしい。当てられた問題を確実に正答している。教師にとってもありがたい生徒だろう。第四に同性にも人気がある。まだ新学期が始まって一週間そこそこだが、あっという間にクラスの女子の中心的人物になりおおせてしまった。人を惹ひきつけるカリスマみたいなものが確かにある。

 いつも眉間みけんにシワ寄せている頭の内部がミステリアスな涼宮ハルヒと比べると、そりゃ彼女にするんならこっちかな、俺だって。つーか、どっちにしろ谷口には高嶺たかねの花だと思うが。

 まだ四月だ。この時期、涼宮ハルヒもまだ大人しい頃合いで、つまり俺にとっても心安まる月だった。ハルヒが暴走を開始するにはまだ一ヶ月弱ほどある。

 しかしながら、ハルヒの奇矯ききょうな振ふる舞まいはこの頃から徐々じょじょに片鱗へんりんを見せていたと言うべきだろう。

 と言うわけで、片鱗その一。

 髪型かみがたが毎日変わる。何となく眺ながめているうちにある法則性があることに気付いたのだが、それはつまり、月曜日のハルヒはストレートのロングヘアを普通に背中に垂らして登場する。次の日、どこから見ても非のうちどころのないポニーテールでやって来て、それがまたいやになるくらい似合っていたのだが、その次に日、今度は頭の両脇りょうわきで髪をくくるツインテールで登校し、さらに次の日になると三つ編みになり、そして金曜日の髪型は頭の四ヶ所を適当にまとめてリボンで結ぶというすこぶる奇妙きみょうなものになる。

 月曜日=○、火曜=一、水曜=二......。

 ようするに曜日が進むごとに髪を結ぶ箇所かしょが増えているのである。月曜日にリセットされ後は金曜日まで一つずつ増やしていく。何の意味があるのかさっぱり解らないし、この法則に従うなら最終日には六ヶ所になっているはずで、果たして日曜日にハルヒがどんな頭になっているのか見てみたい気もする。

 片鱗その二。

 体育の授業は男女別に行われるので五組と六組の合同でおこなわれる。着替きがえは女が奇数きすうクラス、男が偶数ぐうすうクラスに移動してすることになっており、当然前の授業が終わると五組の男子は体操着入れを手にぞろぞろと六組に移動するわけだ。

 そんな中、涼宮ハルヒはまだ男どもが教室に残っているにもかかわらず、やおらセーラー服を脱ぬぎ出したのだった。

 まるでそこらの男などカボチャかジャガイモでしかないと思っているような平然たる面持おももちで脱いだセーラー服を机に投げ出し、体操着に手をかける。

 あっけにとられていた俺を含ふくめ男たちは、この時点で朝倉涼子によって教室から叩たたき出された。

 その後朝倉涼子をはじめとしてクラスの女子はこぞってハルヒに説教をしたらしいが、まあ何の効果もなかったね。ハルヒは相変わらず男の目などまったく気にせず平気で着替えをやり始めるし、おかげで俺たち男連中は体育前の休み時間になるとチャイムと同時にダッシュで教室から撤退てったいすることを----主に朝倉涼子に----義務づけられてしまった。

 それにしてもやけにグラマーだったな......いや、それはさておき。

 片鱗その三。

 基本的に休み時間に教室から姿を消すハルヒはまた放課後になるとさっさと鞄かばんを持って出て行ってしまう。最初はそのまま帰宅するのかと思っていたらさにあらず、呆あきれることにハルヒはこの学校に存在するあらゆるクラブに仮入部していたのだった。昨日バスケ部でボールを転がしていたかと思ったら、今日は手芸部で枕まくらカバーをちくちく縫ぬい、明日はラクロス部で棒振り回しているといった具合。野球部にも入ってみたというから徹底している。運動部からは例外なく熱心に入部を薦すすめられ、そのすべてを断ってハルヒは毎日参加する部活を気まぐれに変えたあげく、結局どこにも入部することもなかった。

 何がしたいんだろうな、こいつはよ。

 この件により「今年の一年におかしな女がいる」という噂うわさは瞬またたく間に全校に伝播でんぱし、涼宮ハルヒを知らない学校関係者などいないという状態になるまでにかかった日数はおよそ一ヶ月。五月の始まる頃ころには、校長の名前を覚えていない奴やつがいても涼宮ハルヒの名前を知らない奴は存在しないまでになっていた。


 そんなこんなをしながら----もっとも、そんなこんなをしていたのはハルヒだけだったが----五月がやってくる。

 運命なんてものを俺は琵琶湖びわこで生きたプレシオサウルスが発見される可能性よりも信じていない。だが、もし運命が人間の知らないところで人生に影響えいきょうを行使しているのだとしたら、俺の運命の輪はこのあたりで回り出したんだろうと思う。きっと、どこか遥はるか高みにいる誰だれかが俺の運命係数を勝手に書き換かえやがったに違ちがいない。

 ゴールデンウィークが明けた一日目。失われた曜日感覚と共に、まだ五月だってのに異様な陽気にさらされながら俺は学校へと続く果てしない坂道を汗水あせみず垂らしながら歩いていた。地球はいったい何がやりたいんだろう。黄熱病にでもかかってるんじゃないか。

「よ、キョン」

 後ろから肩かたを叩かれた。谷口だった。

 ブレザーをだらしなく肩に引っかけ、ネクタイをよれよれに結んだニヤケ面づらで、

「ゴールデンウィークはどっか行ったか?」

「小学の妹を連れて田舎いなかのバーさん家ちに」

「しけてやんなあ」

「お前はどうなんだよ」

「ずっとバイト」

「似たようなもんじゃないか」

「キョン、高校生にもなって妹のお守りでジジババのご機嫌きげんうかがいに行ってどうすんだ。高校生なら高校生らしいことをだな、」

 ちなみにキョンというのは俺のことだ。最初に言い出したのは叔母おばの一人だったように記憶きおくしている。何年か前に久しぶりに会った時、「まあキョンくん大きくなって」と勝手に俺の名をもじって呼び、それを聞いた妹がすっかり面白おもしろがって「キョンくん」と言うようになり、家に遊びに来た友達がそれを聞きつけ、その日からめでたく俺のあだ名はキョンになった。くそ、それまで俺を「お兄ちゃん」と呼んでいてくれていたのに。妹よ。

「ゴールデンウィークに従兄弟いとこ連中で集まるのが家の年中行事なんだよ」

 投げやりに答えて俺は坂道を登り続ける。髪かみの中から滲しみ出す汗がひたすら不愉快だ。

 谷口はバイトで出会った可愛かわいい女の子がどうしたとか小金が貯たまったからデート資金に不足はないとか、やたら元気に喋しゃべりまくっていた。他人の見た夢の話とペットの自慢じまん話と並んで、この世で最もどうでもいい情報の一つだろう。

 谷口の計画する相手不在の仮想デートコースを三パターンほど聞き流しているうちに、ようやく俺は校門に到達とうたつした。

 教室に入ると涼宮ハルヒはとっくに俺の後ろの席で涼すずしい顔を窓の外に向けていて、今日は頭に二つドアノブを付けているようなダンゴ頭で、それで俺は、ああ今日は二ヶ所だから水曜日かと認識して椅子いすに座り、そして何か魔まが差してしまったんだろう。それ以外の理由に思い当たるフシがない。気が付いたら涼宮ハルヒに話かけていた。

「曜日で髪型変えるのは宇宙人対策か?」

 ハルヒはロボットのような動きで首をこちらに向けると、いつもの笑わない顔で俺を見つめた。ちと怖こわい。

「いつ気付いたの」

 路傍ろぼうの石に話かけるような口調で、ハルヒは言った。

 そう言われればいつだっただろう。

「んー......ちょっと前」

「あっそう」

 ハルヒは面倒めんどうくさそうに頬杖ほおづえをついて、

「あたし、思うんだけど、曜日によって感じるイメージってそれぞれ異なる気がするのよね」

 初めて会話が成立した。

「色で言うと月曜は黄色。火曜が赤で水曜が青で木曜が緑、金曜は金色で土曜は茶色、日曜は白よね」

 それは解わかるような気がするが。

「つうことは、数字にしたら月曜がゼロで日曜が六なのか?」

「そう」

「俺は月曜は一って感じがするけどな」

「あんたの意見なんか誰も聞いていない」

「......そうかい」

 投げやりに呟つぶやく俺の顔のどこがどうなのか、ハルヒは気に入らなそうなしかめ面づらでこちらを見つめ、俺が少しばかり精神に不安定なものを感じるまでの時間を経過させておいて、

「あたし、あんたとどこかで会ったことがある? ずっと前に」

 と、訊きいた。

「いいや」

 と、俺は答え、岡部担任教師が軽快に入ってきて、会話は終わった。


 きっかけ、なんてのは大抵たいていどうってことないものなんだろうけど、まさしくこれがきっかけになったんだろうな。

 だいたいハルヒは授業中以外に教室にいたためしがないから何か話そうと思うとそれは朝のホームルーム前くらいしか時間がないわけで、たまたま俺がハルヒの前の席にいただけってこともあって何気なく話かけるには絶好のポジションにいたことは否定出来ない。

 しかもハルヒがまともな返事をよこしたことは驚おどろきだ。てっきり「うるさいバカ黙だまれどうでもいいでしょ、そんなこと」と言われるものだとばかり思っていたからな。思っていながら話かけた俺もどうかしてるが。

 だから、ハルヒが翌日、法則通りなら三つ編みで登校するところを、長かった麗うるわしい黒髪をばっさり切って登場したときには、けっこう俺は動揺どうようした。

 腰こしにまで届こうかと伸のばしていた髪が肩かたの辺りで切りそろえられていて、それはそれでめちゃくちゃ似合っていたんだが、それにしたって俺が指摘してきした次に日に短くするってのも短絡たんらく的にすぎないか、おい。

 そのことを尋たずねるとハルヒは、

「別に」

 相変わらず不機嫌そうに言うのみで格別の感想を漏もらすわけでもなく、髪を切った理由を教えてくれるわけもなかった。

 だろうと思ったけどさ。


「全部のクラブに入ってみたってのは本当なのか」

 あれ以来、ホームルーム前のわずかな時間にハルヒと話すのは日課になりつつあった。話かけない限りハルヒは何のアクションも起こさない上、昨日のテレビドラマとか今日の天気とかいったハルヒ的「死ぬほどどうでもいい話」にはノーリアクションなので、話題には毎回気を使う。

「どこか面白おもしろそうな部があったら教えてくれよ。参考にするからさ」

「ない」

 ハルヒは即答そくとうした。

「全然ない」

 駄目だめ押ししてハルヒは蝶ちょうの羽ばたきのような吐息といきを漏らした。ため息のつもりなんだろうか。

「高校に入れば少しはマシかと思ったけど、これじゃ義務教育時代と何も変わんないわね。入る学校間違まちがえたかしら」

 何を基準に学校選びをしているのだろう。

「運動系も文化系も本当にもうまったく普通ふつう。これだけあれば少しは変なクラブがあってもよさそうなのに」

 何をもって変だとか普通だとかを決定するんだ?

「あたしが気に入るようなクラブが変、そうでないのは全然普通、決まってるでしょ」

 そうかい、決まってるのかい。初めて知ったよ。

「ふん」

 そっぽを向き、この日の会話、終了しゅうりょう。


 また別の日は、

「ちょっと小耳に挟はさんだんだけどな」

「どうせロクでもないことでしょ」

「付き合う男全部振ふったって本当か?」

「何であんたにそんなこと言わなくちゃいけないのよ」

 肩にかかる黒髪をハラリと払はらい、ハルヒは真っ黒な瞳ひとみで俺を睨にらみつけた。まったく、無表情でいないときは怒おこった顔ばかりだな。

「出どころは谷口? 高校に来てまであのアホと同じクラスなんて、ひょっとしたらストーカーかしら、あいつ」


「それはない」と思う。

「何を聞いたか知らないけど、まあいいわ、たぶん全部本当だから」

「一人くらいまともに付き合おうとか思う奴やつがいなかったのか」

「全然ダメ」

 どうやらこいつの口癖くちぐせは「全然」のようだ。

「どいつもこいつもアホらしいほどまともな奴だったわ。日曜日に駅前に待ち合わせ、行く場所は判で押したみたいに映画館か遊園地かスポーツ観戦、ファーストフードで昼ご飯食べて、うろうろしてお茶飲んで、じゃあまた明日ね、ってそれしかないの?」

 それのどこが悪いんだと思ったが、口に出すのはやめておいた。ハルヒがダメだと言うからにはそれはすべからくダメなのだろうな。

「あと告白がほとんど電話だったのは何なの、あれ。そういう大事なことは面と向かって言いなさいよ!」

 虫でも見るような目つきを前にして重大な----少なくとも本人にとっては----打ち明けごとをする気になれなかっただろう男の気分をトレースしながら一応俺は同意しておいた。

「まあ、そうかな、俺ならどっか呼び出して言うかな」

「そんなことはどうでもいいのよ!」

 どっちなんだよ。

「問題はね、くだらない男しかこの世に存在しないのかどうなのかってことよ。ほんと中学時代はずうっとイライラしっぱなしだった」

 今もだろうが。

「じゃ、どんな男ならよかったんだ? やっぱりアレか、宇宙人か?」

「宇宙人、もしくはそれに準じる何かね。とにかく普通の人間でなければ男だろうが女だろうが」

 どうしてそんなに人間以外の存在にこだわるのだろう。俺がそう言うと、ハルヒはあからさまにバカを見る目をして言い放った。

「そっちのほうが面白いじゃないの!」

 それは......そうかもしれない。

 俺だってハルヒの意見に否いなやはない。転校生の美少女が実は宇宙人と地球人のハーフであったりして欲しい。今、近くの席から俺とハルヒをチラチラとうかがっているアホの谷口の正体が未来から来た調査員かなにかであったりしたらとても面白おもしろいと思うし、やはりこっちを向いてなぜか微笑ほほえんんでいる朝倉涼子が超能力ちょうのうりょく者だったら学園生活はちょっと楽しくなると思う。

 だが。そんなことはまずあり得ない。宇宙人や未来人や超能力者がいるなんてことがあり得ないし、たとえいたとしてもホイホイ俺たちの前に登場することも、だいたい何の関係もない俺の前にやってきて「いやあワタクシ、その正体は宇宙人とかでして」と自己紹介しょうかいしてくれるわけねーだろ。

「だからよ!」

 ハルヒは椅子いすを蹴倒けたおして叫さけんだ。教室に揃そろっていた全員が振り返る。

「だからあたしはこうして一生懸命しっしょうけんめい、」

「遅おくれてすまない!」

 息せき切って明朗快活岡部体育教師が駆かけ込んできて、拳こぶしを握にぎりしめて立ち上がった姿勢で天井てんじょうを睨にらんでいるハルヒとそのハルヒを一斉いっせいに振り返ってみている一同を目にして、ギョッと立ちすくんだ。

「あー......ホームルーム、始めるぞ」

 すとんとハルヒは腰こしを下ろし、机の角を熱心に眺ながめ始める。ふう。

 俺も前を向き、他の連中も前を向き、岡部教諭きょうゆはよたよたと壇上だんじょうに登り、咳払せきばらいを一つ。

「遅れてすまない。あー......ホームルーム、始めるぞ」

 最初から言い直し、いつもの日常が復活した。おそらくこんな日常こそがハルヒの最も忌いむべきものなんだろうな。

 でも人生ってそんなもんだろ?


 しかしな。ハルヒの生き様をうらやましいと思う理屈りくつでは割り切れない感情が心の片隅かたすみでひっそり躍おどっていることも無視出来ない。

 俺がとうにあきらめてしまった非日常との邂逅かいこうをいまだに待ち望んでいるわけだし、何と言ってもやり方がアクティブだよな。

 ただ待っていても都合よくそんなもんは現れやしない。だったらこちらから呼んじまおう。で、校庭に白線引いたり屋上にペンキ塗ぬったりフダを貼はり回ったり。

 いやはや(これって死語か?)。

 いつからハルヒが傍目はためから見るとトチ狂くるっているとしか思えないことをやっていたのか知らんけど、待てど暮らせど何も現れず、業ごうを煮にやしては奇怪きかいな儀式ぎしきを行ってもナシのツブテ、そりゃいつも全世界を呪のろっているような顔にもなる......わけないか。

 休み時間、谷口が難しい表情を顔に貼り付けてやって来た。そんな顔してると本当にアホみたいだぞ、谷口。

「ほっとけ。んなこたぁいい。それよりお前、どんな魔法まほうを使ったんだ?」

「魔法って何だ?」

 高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないという警句を思い出しながら俺は聞き返した。授業が終わると例によって教室から消えてしまったハルヒの席を親指で差して谷口は言った。

「俺、涼宮が人とあんなに長い間喋しゃべってるの初めて見るぞ。お前、何言ったんだ?」

 さて、何だろう。適当なことしか訊きいていないような気がするんだが。

「驚天動地きょうてんどうちだ」

 あくまで大げさに驚おどろきを表明する谷口。その後からひっこりと国木田が顔を出した。

「昔からキョンは変な女が好きだからねぇ」

 誤解を招くようなことを言うな。

「キョンが変な女を好きでもいっこうに構わん。俺が理解しがたいのは、涼宮がキョンを相手にちゃんと会話を成立させたことだ。納得なっとくがいかん」

「どちらかと言うとキョンも変な人間にカテゴライズされるからじゃないかなぁ」

「そりゃ、キョンなんつーあだ名の奴やつがまともであるはずはないんだがな。それにしても」

 キョンキョン言うな。俺だってこんなマヌケなニックネームで呼ばれるくらいなら本名で呼ばれたほうがいくらかマシだ。せめて妹には「お兄ちゃん」と呼んでもらいたい。

「あたしも聞きたいな」

 いきなり女の声が降って来た。軽かろやかなソプラノ。見上げると朝倉涼子の作り物でもこうはいかない笑顔えがおが俺に向けられていた。

「あたしがいくら話かけても、なーんも答えてくれない涼宮さんがどうしたら話すようになってくれるのか、コツでもあるの?」

 俺は一応考えてみた。と言うか考えるフリをして首を振ふった。考えるまでもないからな。

「解わからん」

 朝倉は笑い声を一つ。

「ふーん。でも安心した。涼宮さん、いつまでもクラスで孤立こりつしたままじゃ困るもんね。一人でも友達が出来たのはいいことよね」

 どうして朝倉涼子がまるで委員長みたいな心配をするのかと言うと、委員長だからである。この前のロングホームルームの時間にそう決まったのだ。

「友達ね......」

 俺は首をかしげる。そうなのか? それにしては俺はハルヒの渋面じゅうめんしか見ていないような気がするぞ。

「その調子で涼宮さんをクラスに溶とけ込めるようにしてあげてね。せっかく一緒いっしょのクラスになったんだから、みんなで仲良くしていきたいじゃない? よろしくね」

 よろしくね、と言われてもな。

「これから何か伝えることがあったら、あなたから言ってもらうようにするから」

 いや、だから待てよ。俺はあいつのスポークスマンでも何でもないぞ。

「お願い」

 両手まで合わされた。俺は「ああ」とか「うう」とか呻うめき、それを肯定こうていの意思表示と取ったのか、朝倉は黄色いチューリップみたいな笑顔を投げかけて、また女子の輪の中へ戻もどって行った。輪を構成する女どもが残らずこちらを注目していたことが俺の気分をさらにツーランクほどダウンさせる。

「キョン、俺たち友達だよな......」

 谷口が胡乱うろんな目で俺に言う。何の話だよ。国木田までが目を閉じ腕うでを組んで意味もなく頷うなずいている。

 どいつもこいつもアホだらけだ。

 席替せきがえは月に一度といつの間にやら決まったようで、委員長朝倉涼子がハトサブレの缶かんに四つ折にした紙片のクジを回して来たものを引くと俺は中庭に面した窓際まどぎわ後方二番目というなかなかのポジションを獲得かくとくした。その後ろ、ラストグリッドについたのが誰だれかと言うと、なんてことだろうね、涼宮ハルヒが虫歯をこらえるような顔で座っていた。

「生徒が続けざまに失踪しっそうしたりとか、密室になった教室で先生が殺されてたりとかしないもかしらね」

「物騒ぶっそうな話だな」

「ミステリ研究会ってのがあったのよ」

「へえ。どうだった?」

「笑わせるわ。今まで一回も事件らしい事件に出くわさなかったって言うんだもの。部員もただのミステリ小説オタクばっかりで名探偵たんていみたいな奴もいないし」

「そりゃそうだろう」

「超常ちょうじょう現象研究会にはちょっと期待してたんだけど」

「そうかい」

「ただのオカルトマニアの集まりでしかないのよ、どう思う?」

「どうも思わん」

「あー、もう、つまんない! どうしてこの学校にはもっとマシな部活動がないの?」

「ないもんはしょうがないだろう」

「高校にはもっとラディカルなサークルがあると思ってたのに。まるで甲子園こうしえんを目指す気まんまんで入学したのに野球部がなかったと知らされた野球バカみたいな気分だわ」

 ハルヒはお百度参りを決意した呪のろいい女のようなワニ目で中空を眺ながめ、北風のようなため息をついた。

 気の毒だと思うところなのか。ここは?

 だいたいにおいて、ハルヒがどんな部活動なら満足するのか、その定義が不明である。本人にも解っていないんじゃないのか? 漠然ばくぜんと「何か面白おもしろいことをしてて欲しい」と思っているだけで、その「面白いこと」が何なのか、殺人事件の解決なのか、宇宙人探しなのか、妖魔ようま退散なのか、こいつの中でも定まっていない気がする。

「ないもんはしょうがないだろ」

 俺は意見してやった。

「結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならないのさ。言うなれば、それを出来ない人間が、発明やら発見やらをして文明を発達させてきたんだ。空を飛びたいと思ったから飛行機作ったし、楽に移動したいと考えたから車や列車を産み出したんだ。でもそれは一部の人間の才覚や発想によって初めて生じたものなんだ。天才が、それを可能にしたわけだ。凡人ぼんじんたる我々は、人生を凡庸ぼんように過ごすのが一番であってだな。身分不相応な冒険心ぼうけんしんなんか出さないほうが、」

「うるさい」

 ハルヒは俺が気分よく演説していることろを中断させて、あらぬ方向を向いた。実に機嫌きげんが悪そうだ。まあ、それもいつものことだ。

 多分、この女はなんだっていいんだろう。ツマラナイ現実から遊離ゆうりした現象ならば。でもそんな現象はそうそうこの世にはない。つーか、ない。

 物理法則万歳! おかげで俺たちは平穏へいおん無事に暮らしていられる。ハルヒには悪いがな。

 そう思った。

 普通ふつうだろ?


 いったい何がきっかけだったんだろうな。

 前述の会話がネタフリだったのかもしれない。

 それは突然とつぜんやって来た。

 うららかな日差しに眠気ねむけを誘さそわれ、船をこぎこぎ首をカクカクさせていた俺の襟首えりくびをわしづかみにされたかと思うと恐おそるべき勢いで引っ張られ、脱力だつりょくの極きわみにいた俺の後頭部が机の角に猛然もうぜんと激突げきとつ、俺は目の前に刻ときの涙なみだを見た。

「何しやがる!」

 もっともな怒いかりをもって憤然ふんぜんと振ふり返った俺が見たものは、俺の襟をひっつかんで突つっ立っている涼宮ハルヒの----初めて見る----赤道直下の炎天下えんてんかじみた笑顔えがおだった。もし笑顔に温度が付帯しているなら、熱帯雨林のど真ん中くらいの気温になっているだろう。

「気がついた!」

 唾つばを飛ばすな。

「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら!」

 ハルヒは白鳥座α星くらいの輝きを見せる両眼を真っ直ぐに俺に向けていた。仕方なく俺は尋たずねる。

「何に気付いたんだ?」

「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」

「何を」

「部活よ!」

 頭が痛いのは机の角にぶつけただけではなさそうだ。

「そうか。そりゃよかったな。ところでそろそろ手を離はなしてくれ」

「なに? その反応。もうちょっとあんたも喜びなさいよ、この発見を」

「その発見とやらは後でゆっくり聞いてやる。場合によってはヨロコビを分かち合ってもい。ただ、今は落ち着け」

「なんのこと?」

「授業中だ」

 ようやくハルヒは俺の襟首から手を離した。じんじんする頭を押さえて前に向き直った俺は、全クラスメイトの半口を明けた顔と、チョーク片手に今にも泣きそうな大学出たての女教師を視界に捕とらえた。

 俺は後ろに早く座れと手で合図し、次いで哀あわれな英語教師に掌てのひらを上に向けて差し出して見せた。

 どうぞ、授業の続きを。

 なにかを呟つぶきつつ、ともかくハルヒは着席し、女教師は板書ばんしょの続つづきに戻り......

 新しくクラブを作る?

 ふむ。

 まさか、俺にも一枚噛《か》めと言うんじゃないだろうな。

 痛む後頭部がよからぬ予感を告げていた。